【ΦωΦ】病気の話
左側さえ動けば……そんな話です
話は14年前に遡りますm(._.)m
あれは38歳の冬の頃というか晩秋の頃
突然体が動かなくなりました
救急車も呼ばずに、その頃はまだ同居の姉に病院の救急受付まで送ってもらいました
※当時親戚に市議会議員がいたので口利きの
様な形で手配してもらいました
でも、最初は空き部屋がなくナースステーションの片隅に置かれてました(≧∇≦)
身体中が真っ黄色になり悍ましかったです
※前々から尿の色が濃くドロドロした感じは
ありました(あれ以来オレンジジュースが飲
めません)
暫くして黄疸は引きつつありましたが、高熱は続きました
そこで抗生物質を投入されました……
それから暫くして熱も下がり無事退院しまして職場復帰(※当時は家電量販店)しましたが、長続きせず退社しましたm(._.)m
元々身体は丈夫ではなかったのですが、ここまで酷くなるとはその時は想像もしませんでしたm(._.)m
後は入退院の繰り返しなのですが(※以前入院
した病院とは別です)
その話を突然思い出したので書いてみたいと思いますm(._.)m
■入院歴(52歳から引いて下さい何年前か
分かります )
余談ですが初めての入院は19歳の時に風疹でしました
それから25歳の時に胆嚢摘出手術をしました
※子供の頃から持病はあったのですが入院は
しなかった様です
………………
家族には迷惑かけ通しの日々が続いてますm(._.)m今と変わってませんね(≧∇≦)
それから暫くして今通院してる病院の分院へと入院する事になります
病名は『脳幹脳炎』と診断されました
が、症状は重だるく昔の癲癇が大人になって帰って来たそんな感じでした
点滴等色々治療を受け最終的に出た病名に耳を疑いました(※と言っても後から分かった事なんですけどね)
難病認定されました☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
その時、同時発生した癲癇の様な症状の為、左手麻痺の状態が症状が緩和した現在でもあります(≧∇≦)
………………
今も通院は2〜3ヶ月毎にしていますm(._.)m
投薬量も減り、ひと安心と思ったところへ今の状態です( ˘•ω•˘ )
腰椎変形症と大腿骨骨頭壊死疑い(≧∇≦)
元々、視力障がい者でしたので、それほどショックでもなかったのですが、今の職場が最悪な状態なので神経症がどうも悪化した様で身体と心がひとつになりません(≧∇≦)
それでも何とか生きていかないと家族に恩返し未だ未だ出来てないですからね
診察受けてないので分かりませんが、『少しずつボチボチやっていこう焦らないで』と思ってますm(._.)m